維新を動かした岩倉具視の「原点」

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

半日の京都訪問で左京区の岩倉具視幽棲旧宅へ。映画やテレビなどではあくが強く「姦物」などと評された人物であったので、あまり関心がなかったが、思い違いをしていたようだ。

京都行は、池田屋事件で亡くなった志士たちの墓がある三縁寺(さんえんじ)も含めたコースにした。

https://iwakura-tomomi.jp/

ネットで確認すると要予約や入場者1時間20人まで、などと書いてあったので受付開始の9時前に現地到着、駆け足で入口前に到着した。他に人がいなかったので、確実に入れると安堵したのだが、結局、連れと2人だけだった。

岩倉は1862(文久2)年に辞官し、洛北の岩倉村に67(慶応3)年まで幽棲し、旧宅では3年間過ごした。その後、「王政復古」を実現させた岩倉の原点は岩倉村での厳しい生活にあったようだ。

旧宅は塀で囲まれ、茅葺(かやぶき)の主屋(約60㎡)と瓦葺の附属屋(約67㎡)、繋屋(約9㎡)からなる。岩倉の遺品類や明治維新関係文書などがある対岳文庫(国登録有形文化財)や遺髪碑もある。

施設管理をしている植彌加藤造園株式会社の担当者から案内してもらった。

https://ueyakato.jp/

「幽棲」であり「幽閉」でないことや隠棲していた当時の生活などが分かりやすかった。歴史上の人物の行動のリアルな背景を知ることは、ビジネスでも肝心だと感じた。

続いて訪ねた三縁寺は浄土宗鎮西派知恩院の末寺。池田屋事件で亡くなった維新志士、宮部鼎蔵、吉田稔麿、松田重助、大高又次郎らの墓がある。三条大橋東から現在地に移った。ついでに足を運んだ池田屋跡(中京区三条通河原町東入)には現在、居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」が営業中。営業時間前であったので、また訪れることにする。

参考:東洋経済オンライン
「打倒慶喜」果たした岩倉具視が最期に悔やんだ事
真山 知幸 : 著述家
2021/10/17 12:00https://toyokeizai.net/articles/-/462524?page=4

Follow me!