ニシンと裕次郎 小樽おさらい旅

昨年6月に「日本の沿岸を歩く」(グローバルネット2022年3月号記事)の取材で小樽に出掛けた。コロナ禍で閉鎖されていた施設、時間がなかった石原裕次郎ゆかりの場所を訪ねるために、おさらい旅を敢行した。

名古屋からの太平洋フェリーで苫小牧、そこからJRで小樽へ向かった。ニシン漁が発展の礎となった港町。小樽駅前からバスでニシン漁祝津岬にある鰊御殿(にしんごてん)の貴賓館(旧青山別邸)を訪ね、北原ミレイが歌った『石狩挽歌』(作詞なかにし礼、作曲浜圭介)の記念石碑と対面した。前回はコロナ禍休業中だったので、門扉のすき間から少し見ることができたものの、残念至極であった。

なかにし礼と言えば、昔は『時には娼婦のように』のイメージが強かったのだが、前回の取材の後、なかにし礼の代表作である『赤い月』『長崎ぶらぶら節』などを読んで、理解と畏敬の感を深めた。それだけに碑の前に立つと「巨人」に少し近寄れたようなうれしさがあった。なかにし礼は両親の出身地である小樽に戦後一時期暮らしており、ニシン場を知っている。兄が投機的なニシン漁で失敗するなどして家族は辛苦を味わった。

石狩挽歌  https://www.youtube.com/watch?v=Y3YqJupkRnQ

その後、近くの民宿青塚食堂でニシンの焼き魚を食べた。大きくてカズノコ入り。輸入の冷凍ものだが大変美味。「春の地元ニシンと食べ比べに来てね」と店の人に誘われ、その気になった。小樽市鰊御殿にも入場しニシン漁で使った漁具や網の展示を見ることができた。

石原裕次郎については、兄の慎太郎(2月死去)とともに小樽で幼少期を過ごした。『おれの小樽』はその時の情景と小樽に対する思いが込められている。小樽築港駅近くのマリーナあった石原裕次郎記念館は2017年閉館。跡地には愛用のヨット「コンテッサⅢ」が飾られ、入り口だった表示が残っている。

他にもサンモール一番街に裕次郎のポートレートや出演した映画のポスターなどが並べられ、小樽市総合博物館には石原裕次郎記念館にあった愛用のロールスロイスが展示してある。小樽駅4番ホーム「裕次郎ホーム」では等身大パネルから、裕次郎の視線を感じることができる。

石原裕次郎の全盛期、まだ幼かったため、『赤いハンカチ』『二人の世界』くらいは歌えたものの、テレビドラマ「太陽にほえろ!」以降のイメージが強い。亡くなってから発表された『北の旅人』(作詞山口洋子、作曲弦哲也)など、年齢を重ねるに従って、その渋みが理解できるようになった。

石原裕次郎オンライン記念館(32分56秒)で、昭和の生んだ大スターを偲ぶことができる。

北の旅人 https://www.youtube.com/watch?v=b1PfK2c2lsI

おれの小樽

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