諫早湾干拓事業は海と人を傷つけ続ける


GN諫早諫早湾干拓地
諫早湾干拓地の潮受け堤防が閉め切られて少し経った頃、現地を訪ねて堤防の外側で膨大なアサリの貝殻、スナメリの死体を見たことがある。その後はメディアの報道で経緯を見守っていた。月刊環境情報誌「グローバルネット」2026年3月号に連載中の「日本の沿岸を歩く」で諫早湾干拓地を取り上げる機会を得た。有明海・八代海シリーズ全6回の5回目。2023年、司法が最終的に潮受け堤防の「非開門」の判断を下したが、問題の本質は解決などしていない。記事の紹介と取材&執筆での思いを書いてみよう。
記事のリードは次のようにした。
有明海の北西奥部にある諫早湾干拓地に着いた。1997年4月14日、潮受け堤防が閉め切られた。連続して落ちる鋼板は「ギロチン」と呼ばれ、干潟の息の根を止めた。あれから29年、締め切られた堤防排水門の開閉を巡る長い法廷闘争は、2023年に最高裁で「非開門」の判断が下された。干拓事業は「有明海異変」との因果関係が十分に解明されることなく、「負のレガシー」として海と人を傷つけ続けるのだろうか。
■莫大な費用に見合わない事業
記事は全文を読んでいただきたいので、ここではポイントと思われる部分を示しておく。
- 諫早湾干拓は「複式干拓方式」。従来の地先干拓は、河川が運んだ土砂や潮汐で堆積する泥土の堆積(潟土)で「育つ」干潟を陸地に変えるが、複式干拓方式は一挙に大規模な自然改変をする。
- 2010年、福岡高裁判決は「5年間の開門」を命じたが、国は控訴せず開門命令が確定した。命令が確定したが、2023年、最高裁で逆にそれを「無効化」する司法判断が確定した。『非開門で決着』という報道について、大島さんは「最高裁は2010年の確定判決を『破棄』したわけではなく『開門の強制執行』を認めない、というもの。裁判では決着がつかないのです」と語る。
- 干拓先進国のオランダでは、潮止堤防(防潮堤・可動堰)は、通常時は潮の干満に合わせて海水を流し、高潮の危険がある時だけ閉じる仕組みが主流という。韓国全羅北道で2010年に完成した全長33.9km(世界最長)の「セマングム防潮堤」では、当初閉鎖的な水域としたが、水質汚濁が深刻となったため、方針を転換し、「海水流通」で水質改善を図っている。
- 防災には効果があったとされる(洪水に対しては疑念あり)が、約2,500億円を投入した諫早湾干拓事業を長崎大学名誉教授の宮入興一さんは「横綱格の失敗事業」とし、著書で政治、官僚、業界の癒着構造を指摘する。地元漁業の衰退や下請け企業の公共工事への依存体質など二次的な悪影響などもあるという。
- 司法が「自然界の法則」を解釈できるわけもなく、残された選択は現場の海で開門調査による「一つしかない真実」の解明しかない。それで生じる影響や対策のコストは干拓事業を始めた国が負うのが「原因責任主義」というものだろう。

北部排水門
■黒澤映画『生きる』を観てほしい
干拓地の造成によって生活を壊された漁業者、途中で撤退した入植者など、多くの人々が嫌な思いをしてきた。そうした人々が少しでも安心して生活できるよう、行政担当者には公僕として住民ファーストで働いてもらわないと困る。
懸命に働く公務員がいる一方で、そうでない多くの存在も気になる。公務員として身分が保証され、大過なく定年までやり過ごせばいい、と思っているのだろうか。
公務員に勧めたいのが黒澤明監督の映画『生きる』。志村喬の主演で1952年に公開された。カズオ・イシグロが脚本を書いたリメイク版『生きる LIVING』(2022年、イギリス映画)がある。
ストーリーは、30年間無欠勤で働いてきた市役所の市民課長・渡辺勘治はある日、がんの死亡宣告を受けた。絶望と孤独の中で、典型的な公務員としての事なかれ主義的な生き方に気づく。命が尽きる前に、市民のための小公園を建設しようと奔走した。雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて「命短し…」という『ゴンドラの唄』を口ずさみながら息を引き取る…。
官僚主義への批判とともに人生の価値も問うている「重い映画」だが、映画では渡辺の通夜の翌日から元のお役所仕事が始まって現実に引き戻される。諫早湾干拓事業も渡辺のような人物はいなかったのだろう。
『生きる』予告編 https://www.youtube.com/watch?v=Ax4sIodnCHI
■自然と経済の見えない大切な関係
自然と経済の関係に触れてみたい。日本では1980年代にシリコンバレーを参考にしたテクノポリス構想があった。シリコンバレーはスタンフォード大学と地元企業が連携し、ハイテク産業の集積地に成長した。テクノポリス構想はそれを手本に「先端技術産業と学術研究機能、そして住環境の一体化」を目指した地方振興策である。結果は地方分散と工業立地を促進する「第1段階」の役割は果たしたが、その後は尻すぼみに終わったようだ。
テック産業の拠点であるシリコンバレーの特殊性として、サンフランシスコ湾域(ベイエリア)の恵まれた自然環境がある。「地中海性気候」に属し、天候は非常に穏やかで緑も多い。生活コストは高いものの、解放的な環境の中で快適に暮らせる魅力は大きい。
ベイエリアは自然保護活動が盛んな場所で、1892年にサンフランシスコで産声を上げた自然保護団体シエラクラブ(Sierra Club)は、アメリカにおける国立公園制度の確立や自然保護運動の源流として、極めて重要な役割を果たしてきた。会員数100万人以上。
https://www.sierraclub.org/
サンフランシスコ湾についてはSave The Bayが積極的な保護活動を続けている。
https://savesfbay.org/

サンフランシスコ湾
■干潟や湿地再生が進む
干潟の自然保護でもベイエリアは参考になる。サンフランシスコ湾では、干潟・湿地再生活動が続いている。19世紀以降の埋め立てで失われた約9割の湿地を、生態系回復と洪水対策(グリーンインフラ)を目的として復元する取り組みがある。浚渫土砂の再利用や潮汐の再導入によって沿岸湿地を回復させており、防災コスト削減や生物多様性保全の世界的成功事例となっている。
<参考情報>
サンフランシスコ湾湿地回復に学ぶ ピーター・ベイ博士講演会・諫早報告 時津良治(諫早干潟緊急救済本部)(JAWAN通信 No.80 2005年3月20日発行から転載)
https://www.jawan.jp/rept/rp2005/rp050403tokitsu-j80.html
Restore Our Wetlands湿地を再生しよう
https://savesfbay.org/restore/
諫早湾干拓事業の記事の最後に「コペルニクス的転回」を期待したいと書いた。将来、潮受け堤防の開門、さらに干潟再生などのこれまでにない展開への望みを込めた。韓国やオランダなどのように干拓した調整池に海水を入れている事例があるのだから、無理筋ではないはずだ。
干潟を埋め立て、山を削るなどの自然破壊が続く日本だが、われわれ日本人の遺伝子の中には自然共生の感性が刷り込まれている。ただ自覚できないだけで、目先の「今だけ、金だけ、自分だけ」の三だけ主義に侵されている。ビジネスの土台となる新規性や独創性が自然の理によって導かれることを理解したい。諫早湾干拓事業はそのきっかけになると思う。
■「ボタンの掛け違い」修正できず?
諫早湾干拓事業は自然を十分理解しないままに始まった、いわば「最初のボタンの掛け違い」ではなかろうか。面子にこだわる硬直化した行政システムの不具合は、修正も後戻りできないまま迷路に陥った。国、長崎県は、ほとぼりがさめるまで「頬かむり」を続けるのだろうか。ずい分長い時間がかかりそうだが、今後の歴史検証によって干拓事業の「真実」があぶり出されるかもしれない。また、「コペルニクス的転回」による画期的な問題解決策が出現するかもしれない。ピンチはチャンス、禍を転じて福と為す、という言葉があるじゃないか。
■「グローバルネット」で環境問題を知ろう

グローバルネット2026年3月号表紙
今回の記事は「グローバルネット」本誌で読んでいただきたい。
「1990年12月の創刊以来、タイムリーな話題をテーマとした特集を軸に、市民や企業の環境問題への取り組み、最新の環境関連研究を伝える内容、行政の動き、世界の動向などを現場からお届けしています」
情報誌グローバルネット
https://www.gef.or.jp/category/globalnet/
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