美しき富士山を見ながら清水+伊豆半島の取材旅
月刊環境情報誌「グローバルネット」に連載中の「日本の沿岸を歩く」第27弾の取材は静岡県東部。車を走らせて12月15日から4日間、清水、熱海、沼津の順に取材した。天候にも恵まれ、駿河湾と富士山の姿を満喫し、日本に生まれてきたことの幸せを感じたのである。

大瀬崎から見た富士山
マグロ水揚げ日本一の清水
取材初日はマグロの水揚げ日本一の清水市。冷凍マグロの水揚げや駿河湾の魚介類がそろう「河岸(かし)の市」を中心に取材した。河岸の市にある「魚市場食堂」で味わった「漬けマグロいっぱい丼」は圧巻であった。客がストップと言うまでマグロを盛ってくれるのだ。
清水での取材を終えて、宿泊先の沼津に向かう途中、山頂から中腹にかけて雪をかぶった富士山を見ることができた。
伊豆の踊子ラインの記憶
2日目は夜明け前の網代漁港(熱海市)へ。午前5時に到着すると、定置網漁で漁獲した魚の水揚げが始まっていた。伝統的な定置網漁で多くの若者が働いていたのが驚きだった。多くの魚種があり、それぞれの魚種ごとに選別する作業を見せてもらった。
網代の名物に川端康成「伊豆の踊子」に因んだ銘菓「伊豆乃踊子」(菓子舗 間瀬)がある。本店で試食して土産に一箱購入した。そこから富士山や熱海市街が撮影できるという朝日山公園へ急いだ。だが、悲しからずや、歩いて展望台を目指すも、樹木が茂った山道で迷ってしまった。教えてもらった道順がよく分からず、スマホの地図も役立たず。本能に抗えず野糞をし、まったりして緊張感を失ったのがまずかったか。結局目的を果たせないまま山の南側を走る国道135号に出て、そのまま南下。伊東、河津を経て下田へ向かった。
伊豆の踊子ラインで学生時代の記憶がよみがえった。ゼミ(日本政治史)旅行に参加した先輩&同期の計3人で天城峠から河津まで歩いた。天城トンネルや浄蓮の滝などを見て、途中若い看護婦(当時の呼び方)さんと一緒に山道を歩いた。石川さゆり「天城越え」の世界とは無縁の清純な出会いであった。今回の取材では下田港にある「別れの汽船のりば跡」と、小説の舞台となった福田家のある湯ヶ野温泉に立ち寄った。
沼津にあったスカンジナビア号
3日目は沼津の代名詞である干物を取材した。製造の過程を見せてもらい、新製品などの取り組みなども聞いた。アジフライを食べ、沼津市中心部から西伊豆の海岸線を大瀬崎へ向かった。途中の西浦でかつて係留されていたスカンジナビア号を思い出した。
スカンジナビア号は1926年建造のヨット型クルーズ客船(5,105トン)。白い優雅な姿で第一次大戦前から世界一周航海など世界各地の海を巡ったことから「七つの海の白い女王」と呼ばれた豪華客船だ。1970年、ホテル兼レストラン「フローティングホテル・スカンジナビア」として沼津市西浦木負767番地沖に投錨、営業を開始。以後36年間、沼津のシンボルとして親しまれた。2005年に営業を終了、スウェーデンの会社に売却され、2006年8月曳航中に和歌山県潮岬沖で沈没した。
学生時代、大瀬崎で英会話研究会の合宿をした際に、メンバーと一緒にスカンジナビア号を訪ねた。田舎出の若者には、欧州の香りが充満する豪華な船内は異次元の世界であった。

在りし日のスカンジナビア号
取材後に調べると「スカンジナビア資料館」(レストランの内部)があることを知った。地元だけでなく多くの人々を魅了していたかが分かる。沈没した船の様子を記録するプロジェクトも進んでいるようだ。
沼津のシンボルを後世に伝える「スカンジナビア資料館」へ!
https://chinobouken.com/sucandinabia/
学術調査 スカンジナビア号調査
https://www.3d-survey.jp/conduct/scandinavia.html
さらに進み、先に触れた合宿場所だった大瀬崎へ。あれから時は流れ、スキューバダイビングの聖地となっていた。大瀬神社から海辺に出ると、またもや富士山の雄大な姿。同行した友人は興奮したのか、漂着したプラスチックのバケツを太鼓に、ばち代わりの枯れ木を手にして甲州火炎太鼓のパフォーマンス。気がふれたかと思うような激しさ…。それでも富士山は美しく微笑んでいるようだった。
ディアナ号と戸田の歴史
大瀬崎からさらにカーブだらけの山道を戸田(へだ)へ進んだ。戸田造船郷土資料館・駿河湾深海生物館は休館日と知っていたが、資料館の前に置いてあるディアナ号の錨を見たかった。

ディアナ号の錨
1854(嘉永7)年ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人プチャーチンは、日本と正式な国交を結ぶため、ディアナ号に乗って下田にやってきた。ディアナ号は2,000トン級の木造帆船で、船長53.33m、幅14.02m。52門の大砲を備え、乗組員約500人のロシアの最新鋭の戦艦だった。だが、安政東海大地震に伴う津波で大きな被害を受け沈没。修理をする予定にしていた戸田港でロシアに戻るためのディアナ号の小型版(代船)が建造された。
吉村昭著「落日の宴 勘定奉行川路聖謨(としあきら)」には川路とプチャーチンの交渉、ヘダ号の建造などの経緯が書かれている。米国と異なり、日露間で平和的な交渉があり、また戸田の人々とロシア人たちの交流なども知ることができた。この頃のロシア人は今と違ってまともだったようだ。
日本初の本格的洋式帆船が完成すると、プチャーチンは戸田の人々への感謝をこめて、船に「ヘダ号」と命名、1855(安政2)年3月、ロシアに向けて出港した。その後、幕府は戸田で6隻の同型の船が建造させた。日本が西洋の造船技術を学ぶ重要な機会となった。
戸田港を山道から一望すると、「落日の宴…」にあるように、この場所が船を造るのにふさわしい場所であることが分かった。
尚、富士市内にもディアナ号の錨、プチャーチン提督と日本の漁夫の像、実物の3分の1の大きさで再現した歴史学習施設ディアナ号がある。
最終日の4日目の午前中は再び清水港。初日に行けなかったフェルケール博物館、清水次郎長の資料がそろう清水港船宿記念館「末廣」に続いて、美保の松原近くにある清水灯台へ。ここでも富士山を見ることができた。数年前の元旦、白馬に乗った暴れん坊将軍の姿を想像しながら三保の松原に来たのだが、寝過ごして昼前の山頂は雲に隠れてしまっていた。今回はばっちり見ることができた。満足、満足。

清水灯台から見る富士山
富士山で始まる愛国行進曲
富士山を毎日ただで見られる静岡県の人々がうらやましい。新幹線で上京するときに富士山が見えると受験や仕事が上手くいく。季節や気候によって、さらに時間によって表情を変えので、納得いく姿を見るのは難しい。ともかく肉眼で見なければ価値がない。
富士山の歌といえば『愛国行進曲』だろう。戦前は第二国歌として広く歌われた国民的愛唱歌。歌詞を公募し、5万7,578点から選んだ。太平洋戦争(アジア太平洋戦争)敗戦への過程で歌われたこと、八紘一宇、皇国などが出てくることからNHKが放送することはないだろうが、愛国心(日本に生まれたことを「よかった」と思う気持ち)を多少とも感じさせるだろう。テンポが良く、元気が出てくる。思想の左右に関わりなく、疲れた時に聴くとビタミン剤代わりになる。…よう知らんけど。
https://www.youtube.com/watch?v=538NpgYN0tU 桜の花びらと日本らしさの情景と
https://www.youtube.com/watch?v=DGw_50OnNJ8 日の丸印シンガー・ソングライター山口采希(あやき)の熱唱https://www.youtube.com/watch?v=2CpcztEOSrs 18年前にアップされ3.5M views
今回の取材で訪れられなかった場所は千本松原(沼津市若山牧水記念館)などいくつもある。再訪のプランを練っている。
20251227追伸
伊豆半島取材では大変お世話になりました。今年取材した宮城県、有明・八代海(熊本、福岡、長崎、佐賀県)の関係者の皆さま、PR支援をさせていただいた皆さまに感謝いたします。ありがとうございました。
新しい年が実り多きことを祈っております。一富士二鷹三茄子。

