「北空港」から「恋の町札幌」まで 北海道で「歌の旅びと」になる

新千歳空港ターミナルビル3F

新千歳空港ターミナルビル3F

旅の歌には「北」が似合う。長年トライしようと願っていたJR北海道&東日本パス(普通・快速列車の7日間乗り放題)を使って北海道(道央、道東)を旅した。目的は連載「日本の沿岸を歩く」の補足取材、それに歌謡曲の歌碑を訪ねること、各地にある博物館を訪ねること、北海道の大地を車窓から眺めること。歌謡曲の宝庫である北海道を歩き、以前の旅も思い出しながら…。北海道を知り、北海道を舞台にした歌の世界に浸るのだ。旅行かばんの中には五木寛之『歌のたび人』(上・下)を入れて…。(敬称略)

 

■愛が飛び立つ北空港

広島空港8時5分発のANA1271便。午前10時過ぎに新千歳空港に到着した。まず空港ターミナル3階のフードコートにある『北空港』の歌碑を確認した。

『北空港』(作詞:やしろよう、作曲:浜圭介、1987年発売)
https://www.uta-net.com/song/1480/

作曲者である浜圭介と桂銀淑のデュエットソングで大ヒットした。札幌、空港、夜、とムードを高める言葉が並んでいる。決めは「♪愛が飛び立つ北空港」。前に「涙を捨てて 過去さえ捨てて…」とあるので、事情のある二人が新たな人生へ飛び立つのだろう。お幸せに!

浜圭介と言えば、小樽に歌碑がある『石狩挽歌』の作曲者でもある。この曲を作詞した、なかにし礼が生前にラジオで、『石狩挽歌』にあるニシン漁を子供のころに間近に見ていたのでは、と話していた。

『石狩挽歌』
https://www.uta-net.com/song/642/

■旭川と鶴岡で「発祥の地」を名乗る

JR新千歳空港駅で乗り放題切符を購入した。11,780円。破格の安さだが、宗谷本線などのローカル線は乗れる列車の本数が極端に少なく、旅行のスケージュールが制限される。

旭川に午後3時37分着。駅近くの大雪クリスタルホールの敷地内にある『雪の降る町を』の歌碑と対面。1952年にヒットした内村直也作詞、中田喜直作曲の歌である。作詞の内村が「旭川にこそふさわしい」と称賛し自筆の歌詞を遺(のこ)した。一方、作曲者の中田がこの曲を作るに際に、知人宅のある山形県鶴岡市で見かけた降雪風景がこのメロディーを紡いだとされ、鶴岡市にも歌碑がある。

大雪クリスタルホールにある旭川市博物館は、アイヌ関連の展示が充実していた。その後訪ねた他の博物館も同様で、白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)と比較すると興味深い。

『雪の降る町を』(Uta-Net)
https://www.uta-net.com/song/4653/

翌日は午前6時16分、新旭川駅発の宗谷本線で稚内へ日帰り旅。途中にある名寄(なよろ)は松山千春の出身地として知られる足寄(あしょろ)とは違うことに気付いた🌀

稚内ではレンタサイクル(電動)でノシャップ岬、氷雪の門(樺太島民慰霊碑)などを巡った。標高約173mの丘陵地の急こう配を自転車がノロノロと登る。多くの観光客のうち、自転車で来た人はいなかった。稚内副港市場2階の食堂で、ご当地グルメ、チャーメンを味わいながら、かつて底引き網漁でにぎわった漁港を眺めた。旧瀬戸邸では往時の漁港の繁栄ぶりを、稚内市樺太記念館では、教科書などには乗らない樺太の歴史を知ることができた。

稚内の東にある宗谷岬は『宗谷岬』の歌碑がある(作詞:吉田弘、作曲:船村徹)が、既に訪れているので今回はパスした。

 

■ワイナリーとチーズ工場

深夜に旭川に戻った翌朝は、富良野へ向かった。倉本聰原作・脚本のテレビドラマ「北の国から」で有名になった場所。ラベンダーは終わっていたので、ワイナリーとチーズ工房を訪ねた。時間が限られているため、ここでもレンタサイクル(電動)を利用。ヒーヒー言いながら、なんとか完走した。途中のヒマワリ畑や収穫中のタマネギ畑を見ることができた。

富良野のワイナリー

富良野のワイナリー

富良野カレー(富良野オムカレー)の発祥の店である「唯我独尊」は行列ができて、1時間半待ちだと聞かされ、別の有名店「くまげら」で和牛ローストビーフ丼を堪能した。

富良野を立つと旭川経由で東へ。北海道らしい原野の風景が続いた。夕暮れ時に北見に到着、ここで宿泊。

 

■ドラマがあり歌になる刑務所

翌朝は石北本線で網走へ。網走は以前に取材で刑務所などを訪ねているので、3時間足らずの滞在で納得。駅周辺を散策するだけだったが、網走川に架かる橋の上から遡上するサケ、捕獲場を見た。産卵を終えて死んだホッチャレが哀れを誘う。

網走と言えば刑務所。新聞記者時代、裁判所とともによく取材した関心のある場所。受刑者の顔を見ながら、社会復帰の意味などを考えたものだ。

吉村昭の「破獄」は面白かったし、歌謡曲では『北の螢』(森進一)を思い出す。1984年公開の東映映画『北の螢』の主題歌で、阿久悠が作詞した。映画は、明治時代の北海道・樺戸集治監の過酷な開拓と囚人たちの姿を描いた。歌は映画のシーンとずっしりと重なる。

『北の螢』(Uta-Net)
https://www.uta-net.com/song/1496/

樺戸集治監は、樺戸郡月形町の月形樺戸博物館として保存されている。取材の途中に訪ねたことがある。建物の石の階段がすり減り、囚人たちの「鉄丸(鉄の足かせ)」によるもの、という話があるが、実際には町役場として長く使用されてすり減ったという。

樺戸集治監の近くの石狩川には、巨大な堰「石狩川頭首工」がある。日本最大級の農業用取水堰で、初代の頭首工は1963年に竣工、現在の2代目に至るまで、一大穀倉地帯である北石狩地域の農業生産を支えてきた。『石狩川よ』(北島三郎)は北海道開拓の苦難の歴史を感じさせる。「♪男を支えて 女が燃えた」…いいじゃないか!

『石狩川よ』(北島三郎)
https://www.youtube.com/watch?v=h80IAYTVSAM

 

■幣舞橋近くに2つの歌碑

網走を出発すると、釧路へ。3時間ちょっとで到着。駅に着くと、釧路市立博物館を訪ね、その後、幣舞橋(ぬさまいばし)へ。フィッシャーマンズワーフMOO近くに、水森かおり『釧路湿原』と美川憲一『釧路の夜』の歌碑がある。水森かおりの歌碑は、写真入りで曲もフルコーラスで流れていた。実は2018年夏の取材時にこの場所を訪れたのだが、見逃していた。川の対岸から撮影した当時の写真を確認すると、碑の横に置かれたテントにふさがれて見えなくなっていた。不覚である。

釧路湿原 水森かおり
https://www.youtube.com/watch?v=dcNmMsP6euI

水森かおり「釧路湿原」歌碑

水森かおり「釧路湿原」歌碑

ご当地ソングの女王として知られる彼女の歌は、木下龍太郎の詩があればこそ。弦哲也とのコンビで名曲を多く残した。他に『東尋坊』『鳥取砂丘』『五能線』が気に入っている。ロケーションと女心の機微を上手く溶け合わせている。

言葉の達人 木下龍太郎
https://www.uta-net.com/user/sakushika/01_100/15.html

美川憲一の『釧路の夜』も金属製のしゃれた歌碑。フルコーラスの曲が流れていた。『新潟ブルース』(新潟市万代橋の西詰めに歌碑)と同じく低音が渋い。

釧路の夜  美川憲一
https://www.youtube.com/watch?v=hB4FkmDAS94

美川憲一「釧路の夜」歌碑

美川憲一「釧路の夜」歌碑

■1両のワンマン列車が湿原を走る

翌日は釧路から根室へ。花咲線(根室本線)は8時21分発の一両ワンマン。右側の窓から海側に湿原とタンチョウが舞う景色を見た。YouTube『花咲線』の動画には、列車から見た沿線風景がある。

2018年夏の取材では、納沙布岬から歯舞、霧多布岬を走り、厚岸までの海沿いの景色に感動した。

松原健之「花咲線 ~いま君に会いたい~」• 作詞:石原信一 作曲:幸耕平
https://www.youtube.com/watch?v=Wb8gV8K_Li0

松原健之を見いだしたのは五木寛之で、寛之の「之」を譲り受けて芸名にした。デビュー曲は『金沢望郷歌』。五木寛之の「歌の旅びと」(上下)と同じ題名の曲(作詞はもちろん五木寛之)も歌っている。

【MV】松原健之/歌の旅びと (作曲:松坂文宏)
https://www.youtube.com/watch?v=TDBLzQDyzEE

金沢望郷歌 (作詞:五木寛之 作曲:弦哲也)
https://www.youtube.com/watch?v=YNU6MDhJXaE

 

■ようやくたどり着いた風連湖

釧路から根室まで2時間半。日本最東端の根室駅に到着すると、帰りの列車までの5時間、またしてもレンタサイクル(電動)をこいで周辺を探訪した。まずは花咲漁港へ。近道しようとして脇道に入り、そのまま海岸に出てしまった。付近に人家もなく、クマが出てきてもおかしくない雰囲気。坂道を必死で自転車をこいだ。

根室の海岸

根室の海岸

花咲漁港には、サンマ漁のサンマ棒受網漁船が停泊していた。ラーメン屋のお母さんが「明日は帰港するから水揚げ量が多いといいね」と話していた。

そこから目指したのは風連湖(ふうれんこ)。以前の取材時、響きのいい湖名を知った。知床半島から野付半島を経て、根室に向かう途中でもう周囲は暗く、その姿を見ることはなかった。

山内惠介「風蓮湖」
https://www.youtube.com/watch?v=BmIa9PbMnoY

風連湖とつながる春国岱

風連湖とつながる春国岱

今回は霧雨の中を自転車で国道44号を西へ進み、温根沼大橋を渡って春国岱へ。ここから風連湖が見えた。ここでも、レンタサイクルの観光客は他に見ることはなかった。

根室から釧路へ戻る列車は、夕暮れの原野をひたすら走る。赤く染まった夕焼け空が、やがて闇に近づいて行った。

 

■「愛の国から幸福へ」の広尾線

翌朝は5時58分始発の根室本線、新得行き。乗客は3人。途中の帯広で下車した。小学校の時に転校した佐藤さんは住んでいるのだろうか。学生時代に帯広駅から乗った広尾線(1987年廃線)。愛国駅~幸福駅が「愛の国から幸福へ」と話題になり、切符を何十枚も買ったことを思い出した。

帯広に着くと、帯広百年記念館、ビート資料館(日本甜菜製糖)、続いて帯広競馬場(ばんえい競馬)を訪ねた。馬の資料館があり、昼ご飯はご当地グルメの豚丼が昼飯だった。

午後3時発の新得行きへ乗り、新得から新夕張へは特急おおぞら8号。鈍行が走っていないので特急に乗れる特例があるのだ。1時間ほどの特急指定席はお得感もあって極めて快適だった。午後8時20分、札幌着。

■裕次郎の歌に多くのムードスポット

北海道入りして7日目の乗り放題最終日。朝一番で、さっぽろ羊ヶ丘展望台へ。午前7時に到着したが、開場は午後9時。地下鉄福住駅に戻り、札幌ドーム近くで朝マック。2時間後にバスで望台に到着すると、「青年よ大志を抱け」のクラーク博士の像の前に観光客が集まっている。像と同じポーズを決めて記念写真を撮っていた。…もっと独創性はないのかね、君たちは。

ありました『恋の町札幌』の碑が。白御影石の碑には歌詞と譜面が刻まれている。上部両側に歌った石原裕次郎と作詞・作曲の浜口庫之助の胸像が飾られていた。1972年(昭和47年)5月にリリースされてから半世紀以上。若い世代は知らない人が多いのだろう、ほとんどの人は碑の前を素通りしていた。

『恋の町札幌』 石原裕次郎
https://www.uta-net.com/song/1840/

「恋の町札幌」の歌碑

「恋の町札幌」の歌碑

裕次郎の歌と言えば、亡くなる直前の1987年2月にハワイでレコーディングした『北の旅人』(作詞:山口洋子、作曲:弦哲也)は、歌詞に夜の釧路、函館、小樽が出てくる。弦哲也が1985年に北海道を旅行した際のインスピレーションをもとにメロディーが生まれた。

『北の旅人』 石原裕次郎
https://www.youtube.com/watch?v=b1PfK2c2lsI

今回は小樽を訪れなかった。小樽にあった石原裕次郎記念館の建物はなくなったが、小樽運河には『俺の小樽』(作詞:杉紀彦、作曲:弦哲也)の歌碑がある。兄の慎太郎と過ごした子どものころの思い出が歌詞でよみがえる。すぐ近くに鶴岡雅義と東京ロマンチカの『小樽のひとよ』の歌碑もある。

『おれの小樽』 石原裕次郎
https://www.youtube.com/watch?v=RFnDn7UpIQc

前回訪れた時は、小樽駅4番ホームに「裕次郎ホーム」で、等身大の写真パネルと一緒に記念撮影をした(シャッターを押してくれた女性駅員の方、ありがとうございました)。

さっぽろ羊ヶ丘展望台の後は、北海道大学総合博物館へ。無料だから、とあまり期待していなかったが、これがとんでもない博物館。以前取材で訪れたシベリアの村などの情報もあった。2、3日かけて見なければならないほど充実していた。同じくキャンパス内にある札幌農学校第2農場(モデルバーン)も、黎明期の酪農の様子を十分に伝えていた。

再び新千歳空港で『北空港』を見納め、広島行きの最終便に搭乗した。秋庭豊とアローナイツの『流氷』をイメージしながらの一週間であった。

秋庭豊とアローナイツ 流氷
https://www.youtube.com/watch?v=v2AQ0Wq_pgI

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