長崎堂のバターケーキ@広島市 「秘すれば花」の味と経営

毎朝行列のできる長崎堂
本ものの広島市民かどうかを知る方法。「長崎堂のバターケーキ」を知っているかどうか。広島市内の中心部、平和大通りの北に少し入った中区中町の長崎堂では、毎朝のように午前9時の開店前に行列ができる。広告などは出さず、現金払いのみ。営業は午後3時半までだが、売り切れたら店は閉まる。シンプルだが一度食べたら忘れられない味が多くのファンの心をつかんでいる。「長崎堂という菓子店」「バターケーキのファン」「広島という世間」の三方良し。長崎堂から公表されている情報が少ないので、一人のファンとして推測を交えて「長崎堂のバターケーキ」の魅力やその秘密をまとめてみた。
■皆知っている「薄緑の袋」
長崎堂周辺では薄緑色の袋を持った人をよく見かける。広島の人間なら「長崎堂のバターケーキだ」とすぐに気づく。袋に何箱入っているか一目瞭然なので、贈答なのか土産なのかと想像を巡らせる。買ったバターケーキを相手に手渡す時、もったいつけて「広島ではだれでも知っている人気の菓子。並ばなければ買えないのですよ」と説明する。知っている人は、長崎堂のバターケーキと分かった瞬間、口の中に味がよみがえって相好を崩す。

長崎堂の薄緑色の袋を持ち帰る客
しっとりとした食感と濃厚なバターの風味。舌においしさが長く残る。製品ラベルに原材料は鶏卵(国産)、砂糖、小麦粉、バター、マーガリン、水あめと書いてある。見た目はカステラを丸型にしたような褐色。直径18㎝の「小」(税込み1,150円)と同21㎝の「中」(税込み1,400円、約640g)の2種類だけ。店頭では「中」を2個セットにした「大」がある。

長崎堂のバターケーキ
半世紀前から同じ材料を使い、同じ作り方で変わらない味を守ってきた。賞味期限は時期によって異なり、7日から10日間。冷凍保存して食べてもうまい。ケーキの箱の中にあるしおりには、湿らせたナイフを使う上手な切り方が説明してある。
■研究重ね独自の味を創出
さて長崎堂の歴史を見てみよう。
(有)バターケーキの長崎堂
http://nagasakido.net/
ホームページによると、太平洋戦争の敗戦から10年後、1955(昭和30)年に広島市中町で創業した。長崎出身のカステラ職人・小川次男氏がバラックで売ったのが長崎堂の始まり。当時は、卸売りが中心で、カステラのほか和菓子なども扱っていた。

バターケーキのしおり
初代店主の小川氏は「よりおいしく栄養のあるお菓子を」と長崎でカステラの製法を研究し、試行錯誤を重ねた。やがて、カステラをアレンジして納得できる味に到達した。1961(昭和36)年に「長崎堂のバターケーキ」の販売を開始。すると味の良さが評判を呼び、2年後には現在のような行列ができるようになった。
意匠登録は「バターケーキの長崎堂」。2010(平成22)年に創業55年を迎え、工場と店舗を兼ねた本店に改装した。これが現在の店舗である。
長崎堂の情報を探したが、データベースなどでほとんどヒットしなかった。地元や大手の企業年鑑の類いも調べたが、情報がなかった。数少ないニュースの中で、2007年10月6日の中国新聞朝刊の「お悔やみ申し上げます」に創業時の説明で触れた小川次男氏の名前を見つけた。肩書はバターケーキの長崎堂会長。87歳だった。他は1995年1月1日の日経流通新聞に「おいしいバターケーキの長崎堂 1時間程で完売」の見出しで800字程度の記事。当時の売り上げは1億7,000万円で、31年前のこの記事の写真には、店頭で列を作って待つ客と手前に高く積み上げられたバターケーキの箱が見える。
実は国内には同名の有名カステラメーカーが存在する。株式会社長﨑堂(大阪)は1919(大正8)年創業、心斎橋に本店がある「特選カステラ」で有名な会社。愛知県小牧市にある株式会社長﨑堂は尾張名古屋の長﨑堂。共に「崎」ではなく「﨑」で表記する。創業者が同じ荒木源四郎氏であるため、歴史的に深いつながりがあるが、現在は別組織(別会社)として経営されている。
■満足の「ニコニコ現金払い」
話を広島の長崎堂に戻すと、バターケーキを売っているのは本店一店だけ。しかも支払いは現金のみ。クレジットカードはもちろんバーコード決済、プリペイドカードなどは使えない。いくら買ってもポイントも付かない。遠隔地からの注文は、現金書留で発送を受け付ける。
おいしい菓子があれば、近くで買いたい、というのが普通の感覚だろう。だが、逆に苦労して欲しいものを手に入れれば満足度は高まる。ストレスをエクスタシーに変換する脳の仕組みかもしれない。じらされると欲望が増す…なんていうのも同じか。
「何と強気な商売じゃ」と感じる人もいるだろうが、一度食べたら合点がいく。現金払いが少なくなった現代、現金手渡しで支払うことで商品の価値を肌で感じられるだろう。商品への満足度が「いつもニコニコ現金払い」になる。
毎日行列ができ、お昼ごろには売り切れる。3連休初日の今年2月21日(土曜日)に並んでみた。9時10分に到着する30~40人が並んでいた。感じのいい店の女性が並んで行列が他の自転車や歩行者の邪魔にならないように整理している。車で来た人に駐車場の足しにと100円を進呈している。列の人々は行儀がよく、正直に申告しているようだ。長年続く朝の行列に並んでいると、なぜか落ち着いた気分になるから不思議だ。
前日は少し早く店を開けたが、午前10時半には売り切れたという。自分が買うまで売り切れないでほしい、と心配したが9時30分に無事2個を購入できた。お盆や年末に、一人で10個20個も買って出てくる先客を見かけると、「他の客のことを考えて遠慮しろよ」と言いたくなるのである。
店頭で対応しているのは4、5人の店員さんで、持ち帰りと発送の注文をてきぱきさばいている。想像なのだが、午後からはバターケーキの製造の仕事に従事するのだろう。一般的に菓子店は常時客を待っており、店員は客が来ない時間は手持ち無沙汰にしている。一方、長崎堂は開店中=販売中なので無駄がない。現金払いなのでクレジットカードなどの設備投資や手数料も省ける。そうなれば製造コストが抑えられ、その分を材料費に充てられる。だから、おいしくなる⇒よく売れて評判がよくなる、という黄金スパイラルが続いている、と想像してみる。
■有名菓子店がひしめく広島県
広島県内には有名な製菓・菓子会社が多い。にしき堂、やまだ屋(もみじ饅頭)、八天堂(くりーむパン)、モーツアルト(からす麦クッキー)、御菓子所高木、共楽堂、島ごころ、などだ。広島土産の定番「もみじ饅頭」は昔の餡からさまざまなバリエーションが生まれている。三原市に本社を置く八天堂は「くりーむパン」が全国的に有名になり、海外やEC事業も展開している。これらの業者は、多くの店舗を構え、購入希望者の要望に応えている。
これに対して長崎堂は真逆の「拡大しない経営戦略」があるようで、ユニークさが際立っている。増収増益で事業が好調なら、ビジネスを拡大するのが普通だが、現状の生産能力の中で無理をせず、持続可能な経営を目指しているようだ。どのような経営哲学なのか知りたくなる。

8分の1に切ったバターケーキ
また、「〇〇受賞」などといった受賞や認定などの評価の類いを掲げていない。多くのファンは外部評価よりも自分の舌を信じているので、「〇〇受賞」はあまり意味がないだろうが…。
■充実した労働環境か
先に述べたように、効率的な経営は、当然、経営者と従業員の労働環境を向上させてきたはずだ、と想像できる。店でバターケーキを買うとき、バターケーキの山の間から奥の工場部分が少し見えるのだが、とても衛生的で明るい印象がある。
もうかってビジネスを拡大すれば忙しくなる。高度経済成長期の価値観である「忙しいことはいいこと」を信じている人は多い。だが、収入を得るための労働は、自分が持つ自由な時間と引き換える行為であることを忘れてはいけない。古代ギリシャ、ローマの時代には奴隷に仕事をやらせて「暇があるから学問ができる」と余暇を大事にした。だから人生の意味を探る哲学も身近にあった。
自分を豊かにするものに出合うには時間が必要だが、それを邪魔する「お金」と「欲」には気を付けたいものだ。長崎堂には「一生懸命に焼いたバターケーキを多くの人が喜んでくれる」という利他の思いと同時に、お盆や年末年始はしっかり休業して自らも大切にしているようだ。
■最強の「口コミ」評価
先にデータベースなどにほとんど情報がないことを書いた。「秘すれば花」という言葉がある。室町時代の能楽師・世阿弥が『風姿花伝』で残した。意味は「すべてを見せず、秘めておくからこそ魅力が生まれる」。すべてを正直にさらけ出すのではなく、見せない部分や隠し持つ工夫によって逆に相手に感動や驚きを与える。
長崎堂の経営はまさに「秘すれば花」。だが、オールドメディア全盛からネット時代になり、SNSなどを検索するとこれでもかと、バターケーキの高評価コメントがあふれている。本当に大切なものは「見えない」、自分が本当に好きなものは「他人に知らせたくない」という思いが交錯する。
ほとんどの企業はメディアへの露出を願っている。人気が出れば、いろいろな媒体に紹介され、経営者も従業員も自負心が満たされ、心地よさを感じる。ただ、PR支援の仕事をしていて、これには注意が必要だと思っている。メディア側の本音は、記事や番組への注目度を高めるために取材対象者を実力以上に持ち上げるからだ。ニュースなどで紹介されると、自分の能力、魅力が高く評価されたと信じ、やがて過信から謙虚さを忘れてしまう。そうして消えていった事業者の何と多いことか。長崎堂の前に毎日できる行列を見て、大切なことを学ぶことができるはずだ。
被爆ですべてを失った広島。戦後そこで新たな歴史を作ってきた長崎堂のバターケーキには、「広島でしか買えない」という絶対条件がある。生まれ育ち、生活する場所に長崎堂のバターケーキが存在することのありがたさ。甘く濃厚な味は幸せな気持ちを増幅させ、変わらない味が人々の郷愁を呼ぶ。「あんた、長崎堂のバターケーキ、知っとるよね。知らんのならモグリでぇ」と言いたくなる「長崎堂のバターケーキ」。広島市民のアイデンティティーを感じさせる、とても貴重な存在なのである。

